「公地・公民」は教えるべきではないかも?
こんにちは。
昔の教科書・学校では,グリグリ太字,最重要語句として「公地・公民」を教わりました。当時の教科書の内容まではわかりませんが,私は小学校の授業でさえ公地・公民を教わった記憶があります。
この「公地・公民」ですが,
中学の教科書からは消えていっています。
最新版が入手できていませんが,「東京書籍」さんの教科書には「ぼかして」載せてあったと思います。(どうして「ぼかして」かは後述)
「帝国書院」さんの教科書には載っていません。
ほかの教科書はわかりませんが,載っていないものが多いように思います。
ちょっとだけ,大化の改新のあたりを引用してみます。
帝国書院の教科書P34から引用
聖徳太子の死後,蘇我氏がいっそう力を強め,権力を独占していました。中大兄皇子(のちの天智天皇)は,中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らとはかり,645年,蘇我氏をたおして政治改革に着手しました。このころ初めて元号である「大化」が使われたため,この改革を大化の改新とよびます。しかしその改革の実現には,こののち50年ほどかかりました。
ちなみに,このつづきは「白村江の戦い」の記述です。公地・公民は載っていません。
高校の教科書も引用してみます。
『詳説 日本史B(山川出版) P38』から引用
中大兄皇子は(中略)645(大化元)年に蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした(乙巳の変)。(中略)646(大化2)年正月には,「改新の詔」が出され,豪族の田荘・部曲を廃止して公地公民制への移行をめざす政策方針がしめされたという注。
注 『日本書紀』が伝える詔の文章にはのちの大宝令などによる潤色が多くみられ,この段階で具体的にどのような改革がめざされたかについては慎重に検討が求められる。
ちなみに,「公地公民制」という部分は太字にはなっていません。
この山川がほとんどのことを説明していると思います。
・いろいろな学説があるが,「改新の詔」の内容が後世の脚色ではないかと疑問視されている。
・そのなかで,公地・公民についても疑問視されている。
・したがって,「示されたという。」などと,公地・公民を載せている教科書でもぼかして書いていて,重要語句には指定されていない。
このあたりは詳しくはないのですが,
公地・公民の存在自体を疑問視する意見や,方針と示されただけであって実施や徹底がされていなかったという意見などがあるようです。
したがって,入試で公地・公民が出題されているのもほとんど見なくなりました。
「出題できない」というのが理由だと思います。
難関校では,天武・持統朝の律令国家を目指す過程のほうが,こちらもあまり出ませんが,出題が多いように思います。
指導はすごく迷います。
触れないのがもっとも混乱がなくてわかりやすいようにも思います。(あくまで中学社会)
社会の授業では,自分が習ったこと,自分が学生時代に重要だと思っていた,それにとらわれないことが大切だと思っています。
では。