遣唐使の「停止」…「廃止」ではありません。
こんにちは。
自戒もこめてこれを書きます。それと訂正ですね。
6/26に「国風文化の形成は遣唐使廃止とは関係がありません」という記事を書きました。
これ,正確には,「廃止」ではなく「停止」です。もしくは「中止」です。
お詫びして訂正したします。
今の教科書でも,「遣唐使を停止」と記述されています。
以前は「廃止」とされていましたが,簡単に違いを説明します。
高校の教科書『詳説 日本史B』(山川出版社)P71から引用します。
894(寛平6)年に遣唐大使に任じられた菅原道真は,唐はすでに衰退しており,多くの危険をおかしてまで公的な交渉を続ける必要はないとして,派遣の中止を提案し,結局,この時の遣唐使は派遣されずに終わった。(下線は引用者)
少し捕捉します。
唐は8世紀に安史の乱が起きてから衰退をつづけていました。
道真が建言をした直前の874年からおよそ10年間にわたって黄巣の乱があり,唐の権勢は著しく衰えました。
遣唐使についても838年の派遣を最後に,50年以上派遣が行われていませんでした。
そのような情勢の中で,
「とりあえず,今回の遣唐使は中止にして様子を見ましょうか。」くらいに道真は提案したと考えられます。
それによってこの派遣は中止になったものの,今後,遣唐使をどうするかなど,何も決めれらずにいたようです。
そうこうしているうちに,907年に唐は滅亡し,自動的に遣唐使も終了となりました。
唐滅亡後の中国では五代十国の戦乱の時代となり,のちには宋が中国の大部分を再統一するものの,宋などとは正式な国交を結ぶことはなく,中国の王朝への使節派遣も消滅したということのようです。
こうした経緯から,「廃止」を建言したというのは不正確であり,「停止」や「中止」などの文言が用いられているようです。
昔は,このとき道真が建言してただちに「廃止」されたと勘違いがあったようで,教科書にも「廃止」と書かれていました。
ただ,お恥ずかしいですが,私も知らなかっただけあって,あまり詳しくはわかりません。不正確な点がございましたら,どうかご指摘ください。また,このあたりの事情についてはいろいろな学説があるようで,今後も教科書の書き方や扱いが変わる可能性がありそうです。
最後に,
自分の知識がアップデートされておらず,まったくお恥ずかしい限りです。
また,ご迷惑をおかけした方にお詫び申し上げます。
文言が変化して「停止」と書いてあることには気が付いていましたが,あまり気にせずに,調べることを怠っていました。
今後も,有意義な情報を提供できるよう勉強いたしますので,どうかご指導のほど,宜しくお願いいたします。
では。